遊具があるお寺
訪れてくれた人の憩いの場でありたい
静岡県富士市にある、曹洞宗のお寺。
山号を海嶋山(かいとうざん)、名を福泉寺(ふくせんじ)といいます。
そうです。遊具があるんです(^^)/
福泉寺は、檀家さんはもちろん、訪れて下さった皆様に
「なんとなく、和むな」
「ちょっと、ゆっくりしていくか」
そんな風に思ってもらえる居場所を目指しています。
お寺は、お墓があって、亡き人に思いを馳せ、供養する大事な場所です。
しかし、それだけではなく、賑わいや活気がある場所に。
普段お寺とは縁遠いであろう、お子さんやパパママも気軽に立ち寄れる空間にしたいと考えています。
(マルシェなど境内を利用したい場合、お気軽にご相談下さい。)
境内はこんな感じ
福泉寺の、いくつかの風景を切り出して見ました。
拡大してごらんになる場合、該当写真をクリック
歴史
宗派は曹洞宗。山号は海嶋山(かいとうざん)、寺号を福泉寺(ふくせんじ)といいます。
実は、当初、宗派は曹洞宗ではなく、真言宗だったのです。
福泉寺は、開かれてから1203年、曹洞宗に改宗してから450年、あらゆる災禍に遭いながら、檀家さんと歴代祖師方に守り抜かれて来たのです。
平安朝時代 (821年) |
現在の浜通り中丸地区に真言宗の寺として開創。 田子浦の浜辺に面していたので、山号を海嶋山、寺号を福泉寺とした。 |
1543年 | 住職だった悦堂種闇和尚は、当時高僧として名高い命山種長和尚が富士の成安寺におり、特に敬慕していたので福泉寺へ迎え、悦堂種闇和尚自らは引退した。 |
1574年 | 曹洞宗の僧侶だった命山種長和尚がこれまで の真言宗から曹洞宗に改宗した。 |
1688年 (元禄元年) |
中丸は度々津波に遭遇するので 中丸から現在の柳島に移転した。 |
江戸時代後期 | 安政大地震では本堂などが倒壊したり、火災に遭ったりと、苦しい時期が長く続く。 |
現在 |
昭和30年に仮御堂から現在の本堂 |
『福泉寺』の『お薬師さん』
当寺に祀られている、石仏のお薬師さま。
1204年(建久4年)に源頼朝が富士の裾野において巻狩をした際、曾我兄弟が十郎祐成の愛妻、虎御前の手引きを得て、父の仇、工藤祐経を討ち果たしたことは周知の事柄でありますが、十郎が闘死するに及び、虎御前は剃髪して尼となり、十郎の菩提を弔って暮らしていた。
そんな中、虎御前は大磯(神奈川県)の海岸で石の薬師像を拾ってきた。
それを西行法師に見てもらった所、
『これは弘法大師の作だ。世に得難いものだから大切にしなさい』
と教えて下さったので、虎御前は仏壇にお祀りし、毎晩回向していた。
翌年、曾我兄弟の7回忌を終えた虎御前は信濃の善光寺へ旅立ち、21日のお籠りをした後、使いの者に頼んで
『富士の麓の福泉寺というお寺は曾我兄弟をお祀りしてある寺ですから、どうかこの仏様を福泉寺へ届けて下さい』
と言って、息を引き取った。
ところが、使いの者が鷹岡の福泉寺(現在の曽我寺)と柳島の福泉寺と間違えて、柳島の方へ届けてしまったのだ。
それ以来、当寺ではお薬師様を大切に祀っています。