今に思う

分刻みで変貌を遂げ続ける現代社会。
衣食住の変化もめまぐるしく、人間の価値観、宗教観も多様化。
住職も十人いれば、まさに十人十色。それぞれの寺院護持方法、 教化活動があり、日々を送る。

住職も教師も人間誰しも、生涯、学道の身である。

月並みな言葉ではあるが、佛教で言う

脚下照顧
(常に自分の足元を見つめ、反省の心を持つ)

住職が好きなソクラテスの?

  無知の知

 

 

(自分は未熟だという自覚の心を忘れず日々を暮らす)

人間全て、原点を見失う事なく、天から与えられた人生をいかに有意義に生き抜くことが 大切ではないだろうか。 自惚れの心が多い人間は、常に辞譲の心現を持ち続けるようにしたい。

いわさ ぜんこう

岩佐善公

岩佐善公
1950年5月31日生まれ。
三島学園三島高等学校にて社会科教諭を務める最中、1980年、現住職父である前住職(清孝和尚)が突然の遷化。
1982年、福泉寺の住職となる。
なお、1990年からは保護司としても活動中。
趣味は、野球観戦、駅伝応援、将棋、合唱、デコメ(笑)

命名について

 昔の人達は字画などあまり気にせず、名前をつけていた傾向が多く見られますが、 近年の若い両親達はインターネットを駆使したり、『命名本』などで、 良き名前を子供に付けようと頑張っており、とても素晴らしい事だと思います。
名前は一生の問題。可能な範囲で、出来る限り検討を重ね、 生涯を共にする名前を付けてあげて欲しいものです。

 

 福泉寺には、門外不出の貴重な『命名本』がある為、時々ですが名付けの相談に乗る事があります。 住職のスタイルはあくまで生まれてくる子供の両親と共に考えながら最終的に名前を決定。

正直、慎重になる程、時間はかかりますが、反面、希望する名前の画数他が全ての条件に合致し、 時間を費やさずに命名されたケースもありました。

相談は檀家や教師仲間、そして一番多いのは野球関係の中でもプロ野球選手の子供。
最近名付けた中で、 私自身気に入っているのは、巨人軍T選手の娘さんの名前です。
野球選手である父、T選手には頑張って欲しいです。

 

 皆様の中でどうしても名付けで迷っている時があれば、時間の許す範囲で相談にのりますから、 お話を聞かせて下さい。
勿論、無料ですから、ご安心を (^o^)/

 

ちなみに…
子供服メーカー『ミキハウス』が運営する、子育て支援出産準備サイトのライターさんから、「名前をつけることは子育ての始まり」というテーマで取材依頼を頂戴しました。
記事は、当該サイトの後半に掲載されておりますので、よろしければ、併せてご一読下さい。
出産準備サイトはコチラ

住職と野球

住職には野球、合唱、将棋、他にも数多くの趣味がある。
その中でも野球に対する思い入れは深く、住職の人生の何割かを占めていると言っても、過言ではない。
中学時代の花形部活動は野球部であった。サッカー部など無い時代。
運動能力がトップクラスの人間達の集合体が野球部。
住職は野球部入部を諦め、背が高い事を理由にバスケット部へ。
その頃より、自分より運動能力の優れた野球部少年への敬意の念と 羨望の心が生まれていたのは確かである。
野球が盛んな土地柄でもあり、檀家からも二人のプロ野球選手が輩出。
大学も全国一を狙える野球強豪校であった為、益々、野球を愛する心が 母校愛と共に深まり、それが現在まで続いている。
現在、親交のある社会人野球、プロ野球関係者は数知れず、全国で活躍する高校野球、 大学野球の指導者達との交流機会も広がっている。
だが、お世話になった勤務高校は野球弱小校であった。
毎夏、ほとんどが一回戦敗退。 学校、生徒達の志気は盛り上がらず。
学校は堅実経営。それだけに、ある程度の資金を必要とする野球部強化には、 二の足を踏んでいたのかもしれない。
退職後、しばらく年月が経過。
偶然にも、知人の有能な指導者を橋渡しする機会を得た。まさに私の理想に近い指導者。
当然、甲子園経験もある。
野球は『技術3割、心7割』を実践する指導者である。 依頼されたユニフォーム、帽子の筆字も、精魂込めて書き上げた。 このユニフォームがいつの日か、甲子園で躍動する日が来る事を、夢に描きながら 応援を続けているのである。

余談になるが、「プロ野球はどこの球団を応援していますか?」とよく聞かれる。
現在、12球団中、11球団に知人が在籍活躍中。
それだけに「チームとして特別に応援しているところはありません」と答えています。
いずれにしても、日本では野球は国技のようなもの。日本人の性格に合致したスポーツだと 私は認識している次第です。

 

私事

-岩佐家の先祖様-

岩佐家の御先祖さんに、江戸時代初期頃に活躍したとされる
『岩佐又兵衛(いわさまたべえ)』という絵師がいます。
江戸天正6年[1578年]~慶安3年6月22日[1650年7月20日]
有岡城主・荒木村重の子として誕生したとされる、江戸時代初期の絵師。又兵衛は通称で、諱は勝以(かつもち)。 その作風は大和絵から漢画、人物から動物まで、あらゆる絵画に通じた知識を和漢折衷という独自のスタイルに昇華しています。
古典的な題材が多いが、劇的なタッチと力強い表現が特色のその作品は、しばしば浮世絵の源流といわれることも。

すでに終わってしまいましたが、東京出光美術館にて開館50周念を記念して『岩佐又兵衛と源氏絵』と題して作品展が行われていたので、住職も実際に拝見しました。
国宝に指定されている巨大な屏風や、全長150メートルもの長さにわたり描かれた作品もあり、まさに時を超えてその迫力に圧倒されました。

皆様も、折にふれて作品を御覧頂ければ幸いです。

 

副住職のささやき

こんにちは。岩佐剛昇(ごうしょう)と申します。剛昇だなんて。なんだか立派で強そうですよね。。実際はそんなことなくて、完全に名前負けです。
実は、私、元々在家の出身で、貴重なご縁を賜わりまして、婿養子としてお寺に嫁がせて頂いた身でございまして、この名も、師匠に頂いた名前なのです。本来は、まだ、門前に立っているだけの小僧に過ぎません。

私のような人間が、歴史のあるお寺を守る一端に関わらせて頂くなんて、とんでもない恐ろしい事です。
お寺離れが叫ばれて久しい現代において、お寺やお坊さんの何が人を遠ざけてしまったのか、逆に何が求められているのか。そもそも、求められていないのか。。大切にしなければならない軸のようなものを失わないように、だけれども偏らないように。。難しい。。生涯初心者で申し訳ありません。
とにかく、もがきながら、皆様のお力を拝借しながら、ご先祖さん、両親に頂いた命を精一杯生かさせて頂きたいと思っております。どうぞ、宜しくお願いいたします。

副住職 合掌

檀家さん紹介

様々な、ジャンルでご活躍されている檀家さん。
その魅力を少しだけご紹介(^_^)/

深澤秀王商店 ― 富士一妙味 ―

福泉寺の、すぐ西にある、昔ながらの手造り味噌のお店 『深澤秀王商店』
厳選された国内産大豆と米糀[こうじ]を原料として昔ながらの天然醸造法で、添加物等一切使用せず精根込めて手造りしている。
また、味噌造りの体験教室を開き、昔ながらの味を伝える活動をしている。

店主の深澤英男さん曰く
「味噌は、生きている。子供のようなもの。甘やかし過ぎても、厳しすぎても良くならない。毎日変わる気温や湿度などに合わせ、長年の経験と勘で調理や環境を微妙に調整している。愛情を込めて育てる。最初は少し厳しめにするのが秘訣。」
  • 吟醸の白味噌・合わせ味噌。塩・醤油糀。


  • 予約すれば味噌手造り体験ができる。
    自家製味噌造りに挑戦してみては。
    (一番右手が店主 英男さん)

私どもも、こちらの味噌で作った味噌汁頂きましたが、香りが良くコクが豊かで、ハマっております。
塩・醤油糀は、どの料理にも相性抜群!例えば、野菜炒めに入れるだけで、丁度良い塩気とコクが出てお手軽絶品料理に。魔法の万能調味料です。 ぜひ、ご賞味あれ!

 

心で描く日本画家

富士市出身の日本画家。岩山 義重(よししげ)さん。 端正で落ち着いた雰囲気。 「基本的に何事も負けず嫌いなんです。」と、岩山さん。 小学・中学校で美術の先生や皆に褒めらた誇らしさから「絵を描くことなら頑張れば一番になれるかも」と思い立ち、美術大学を目指す。 多くの研鑽を積み名門・武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科に進学。
卒業後、美大受験予備校講師や各種デザインの仕事をしながら絵画制作を続け、2001年に東京・銀座のギャラリーハウスにて初の個展を開催。
海外でも個展を開催し、活躍の場を広げ、現在まで約2年に一度のペースで個展を開催している。

岩山義重さん曰く
「僕の絵の多くは抽象画ではなく具象画なので、何かしら形のあるものが対象になりますが、スケッチや写真を使うことはほとんどなくて、たいてい頭の中の記憶やイメージを頼りに描きます。  実は僕、日本画を誰かに教わったことはなくて、すべて独学なんです。岩絵具は扱いが大変で、ムラなく塗ることも別の色を塗り重ねることも難しいんですが、それでもなぜ日本画を選んだかというと、単純に色がきれいだからです。難しい画材だけに塗る順番など事前の段取りが非常に重要になります。」
「表現者は常に新しい刺激や融合を求めていく姿勢が必要」
「技や体で表現できる絵は年齢的にいつかは限界を迎えるとしても、心は伸ばし続けることができるはずです。長期的には『心で描く絵』、つまり年齢や経験を重ねたことによる渋味やコクのようなものを強みにしていきたいです。」
「絵描きの真骨頂とは何ぞやという問いを自らに課して、その答えをずっと追い求めていきたいですね。」

  • Yoshishige Iwayama
    Official Homepage


  • この度、なんと、嬉しい仏縁で、「全日本仏教青年会」より、岩山画伯に、「世界仏教徒会議日本大会開催記念品」として「散華額」の制作の依頼があり、120枚もの作品を奉納されたとの事で、寺族一同、勝手に喜んでおります! 陰ながら応援しております。

”現実”を写す写真家・作家

”ひと”, ”アジア”, ”生きる”をテーマに、現代のリアルを様々な形で表現する、写真家・作家の外山ひとみさん。
高校二年で一眼レフを初めて手にする。大人が中心のサークルにも参加し、富士山の御来光を撮影した 1枚が写真コンテストで市長賞を受賞。これをきっかけとして写真に魅せられる。 20歳で、住み慣れた我が家の解体を前に複雑な想いを抱く住人の表情に迫った最初の写真集「家」を出版。 さらには、路上でたむろする少女、性同一障害に苦しみながら生きる女性、 悲惨な戦争を乗り越えたくましく生きるベトナムの人達、そして刑務所内。 身近な存在から一般の人は決して除くことができない深く突っ込んだ世界まで・・・。 確かに存在する現実を写し撮る。
溢れだすエネルギーに敬服致します。

外山ひとみさん曰く
「世の中で見えていないものに、私ができるだけ早く気づいて、発信していきたい」
「ひらめくと、どんな難解なテーマでも具現化する努力をする」
  • 20年余りの取材により明らかにされる女子刑務所の今。

  • 世界最大の写真集としてギネスに認定された。
    (1ページが縦4メートル、横3メートルで重さ約200キロ!!)

ドイツでも注目!期待のバリトン歌手

ドイツ在住の高田智宏さん。 音楽大学で声楽を学び、数々の音楽コンクールで受賞。クラシックからオペラへと活動の幅を広げ、ドイツ北部キールで歌劇場の専属歌手として活動。
ドイツの音楽雑誌「オペラグラス」においても、高い評価を得る。
2017年には、なんと、ドイツ、オーストリアで歌手に与えられる名誉称号Kammersänger[カンマーゼンガー] 宮廷歌手を受勲。
この称号は、同国で10年以上勤続し、その歌劇場及び市や州に多大な貢献をした人物にのみ与えられる、栄えある称号です。
キール歌劇場では最年少、ドイツで受け取る日本人では歴代4人目の受勲とのことです!

  • 歌劇場ホールにてキール市長から表彰の様子。お客さんの暖かな賛辞に包まれる高田氏。


異国の地で、10年間、家族の支えられながら、弛まぬ努力を続けた末、その功績が認められたのです。
国境を越えての活躍、嬉しくもあり、また、誇りに思います。 今後のますますのご活躍、期待しております。

めざすは“サロマンブルー”

神奈川県にお住まいの和田考司さん(多摩川クラブ所属)。

40歳を迎える今も尚、毎日走ることを欠かさないという、正しく“ランナー”

なんと、2011年2月に開催された「第45回青梅マラソン」30キロ40歳代の部で、大会新記録[1:45:56]を樹立し見事に優勝されるほどの健脚の持ち主なのです。

さらには、北海道「サロマ湖100kmウルトラマラソン」を5回も走破!
驚くことに、10回走破すると与えられるという称号「サロマンブルー」の獲得を、めざしているのだとか。。

あくなき探究心、鍛え上げた精神力、体力。。敬服するばかりです。
目標を達成されること、楽しみにしております!



「青梅マラソン」にて。スポーツキャスターとして活躍するランナー谷川真理さんから賞状を授与される和田考司さん

本格デンマークパンの店「イエンセン」

東京は代々木八幡にある、今年で創業30年を迎えた本格デンマークパンの店「イエンセン」 ご主人は檀家の和田哲也さん 和田さんは学生のときにデンマークで修業し、日本人唯一のコペンハーゲン製パン・製菓オーナーズ協会会員として認められ、 今日ではデンマーク大使館御用達の店として、評判なのだそうです。

私達も何度か食べさせて頂いているのですが、
皆様にもオススメしたいお味。
生地は何層にもなっているデニッシュ生地で、口当たりは、とてもサクッと軽く、一度食べると病みつきになってしまうおいしさです。
檀家の方が様々な場でご活躍されているということは、私達にとっても大きな励みとなります。
これからも、このような形で檀家の方の紹介させて頂ければ・・・
と思ってます。

小田急線・代々木八幡駅より徒歩約2分。
地下鉄千代田線・代々木公園駅徒歩約3分。

曹洞宗 海嶋山

福泉寺

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